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記号論について その1。

思いついちゃったので、記号論と構造主義について簡単に書きたいと思います。19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの言語学者ソシュールを祖とする学問で、乱暴にまとめると「全てのものは言語から構成されている」といった主張です。宗教的な意味合いを匂わせますが、ちゃんと論理的に説明されています。


メイプルストーリーとは何の関係もありませんが、考え方を広げる手助けになればなぁと思って書いてみました。直感とは異なった難しい主張を、お馬鹿な私がまとめているので、とても難解な文章になってしまっていると思います。不毛な言葉の迷宮に迷い込みたい方だけ、お読みくださいませ^^;






私たちを取り巻く世界には、言葉がついて回ります。黒くて翼を持った生き物を見れば「カラス」、木の棒の中に黒鉛の棒が通っているものは「エンピツ」というように、私たちの周りで名前のついていないものはありません。正体不明のものだって、「それ」や「あれ」という指示代名詞を使って名前を与えることが出来ます。


しかし、黒くて翼のある生き物を「カラス」と呼ばなければならない理由はありません。「スズメ」と呼んだって、「ガラス」と呼んだって、「オッペケペー」と呼んだって良いはずです。そのため、言葉は「ものを表現するための道具」として軽んじられがちです。黒くて翼のある生き物が大切で、「カラス」という呼び名はその副産物のように。でも、本当にそうなのでしょうか?


たとえば、外国を見てみましょう。食肉文化の発達した韓国では、4つある牛の胃をそれぞれ「フェカッ」「ボルチブ」「チョニョプ」「ギアラ」と別の言葉で呼び、それぞれ異なった肉として扱うそうです。しかし、我が国日本では、それらを「牛の胃」とひとくくりに呼び、全て同様の扱いをします。もし別々に扱うのならば、韓国語を借りて「ミノ」「ハチノス」「センマイ」「ギアラ」と別々の呼び名を与えなければなりません。「牛の胃」と呼んでいる限り、それらは区別されずひとくくりにされてしまいます。


逆の例を出しましょう。日本で出世魚と呼ばれる「オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド」ですが、英語圏では「Mullet」とひとくくりに呼ばれています。そして、私たちの感じるそれぞれの違いを意識することなく、全て「Mullet」として扱われます。


幼児は、足の裏を「足の裏」としか認識しないでしょう。「土踏まず」という言葉を教えてあげることで、はじめて足の裏の窪みに気づきます。また、「土踏まず」という言葉を教えなくとも、足の裏の窪みに気づいたら、無意識に「足の裏の窪んだ部分」という言葉をその部分に名付けます。私たちが「何か」を意識するということは、「何か」に名前を与える作業です。周りを見渡してください……「何か」を見て、意識して、それに名前を付けずにいることができますか? 名前の知っているものはその名前を、名前の知らないものは「それ」や「あれ」といった指示代名詞を名付けずにはいられません。


ということは、ものごとを意識するという事は名前を付けるという事です。逆に、名前を付けるという事はものごとを意識する事とも言えます。指示代名詞の存在のせいで「ものごとが先にあって名前が後から付く」と誤解しやすいですが、意識することと名前を付けることは同義なのです。


もう一歩進んでみましょう。全く同じものに、異なった名前を付けることは出来ません。2つのものの間に異なった名前が付くということは、何かしらの違いがそれらの間にあるということになります。逆に言うと、それらの違いに意識が向かなければ、それらは同じものとして扱かわれます。日本では出世魚として目まぐるしく名前の変わる魚が英語圏ではひとつの魚として扱われるように、差異を意識しなければ同じ言葉を与えられます。逆に言うと、差異を意識された時異なった言葉を与えられ、さらに異なった言葉を与えられた時に差異を意識できるようになります。


初めて「土踏まず」という言葉を教えてもらった幼児が「足の裏の窪み」という世界を意識することができるように、言葉を獲得するということは世界が広がるということです。外国語を勉強する時に、日本語では区別しなかった単一の言葉を何通りにも使い分けるという事例を見ることがしばしばあると思います。私たちの認識する世界は、言葉によって構成されていると言っても過言ではありません。


感情などの、かたちのないものについても同様です。言葉にできない感情……と言っている、その時点で「言葉にならない感情」という言葉を与えています。揚げ足取りのようですが、「言葉にならない感情」という言葉を与えることによって、私たちはその感情を認識しています。






ここまでが、記号論の基礎的な部分……です。「言葉が世界を作る」というこの大胆な主張は、私が中3の頃に現代文学の先生から教えてもらいました。私の受けた衝撃を、誰かに伝えられればなぁと思います。


少しずつ構造主義などの主張についても書いてみたいとは思いますが……私の暇・体力・文章力・知識次第では書かない可能性も大ですね^^;

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テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術

2006.05.30 | | Comments(4) | Trackback(0) | 日記(*´ー`人)

コメント

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2006-05-31 水 09:11:50 | | # [ 編集]

よ~わかんねぇが

世界って言っても、個人から見た世界って感じだなぁ。
例えば、俺にとってはただの「ヤクザ」でも
きっと貴女の言葉に彩られたヤクザは美しいのでしょうね・・・
そんなおいらは、「人混み」を人がいっぱいいてゴミのようだから「人ゴミ」だと認識してました☆

2006-05-31 水 15:35:39 | URL | スイカちゃん@おっぺけぺー #- [ 編集]

>秘密の人
う~ん……秘密コメントに返信ってどうすれば良いんだ?(;´д`) とりあえず、私も面倒臭い派だから何とも言えないι

>スイカちゃん@あっぱっぱー
こんなコメントしづらい記事にもコメントしてくれてありがとね。書いてから、失敗だったかなぁとか後悔してたり(ノ∀`)
世界って、個人から見た世界しかないと思うんだよね。“客観的“なんて言葉は欺瞞じゃなかろうか(´・ω・`) だって、世界を認識できるのは“私“だけなんだし。客観的な世界が存在したとしても、自分って色眼鏡を通してしか認識できないんだから、そんなものは存在しないって考えたって良いと思うよ~。
ところで、スイカちゃんの感想が的確でビックリした……私の意味不明文章を理解するなんて、オヌシただのオッペケペーではないな(*=∀=)
書くのも重たい内容だから続きどうしようか迷ってたけど、スイカちゃんが読んでくれるなら頑張っちゃおうか☆

PS.「オッペケペー」はスイカちゃんのために書きました(*ノωノ)

2006-06-01 木 20:26:05 | URL | ほまら #Noq3wCMo [ 編集]

オーダーメイドオッペケペーあり・・・

スイカ星人は地球人の考えが知りたいのだよ~。まぁつまるところ摩波さんを通して見た世界は摩波ちゃんワールドってことだね!!




20分ほど何度も読み返したのは秘密です

2006-06-02 金 03:19:56 | URL | スイカ星人@勉強中 #- [ 編集]

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プロフィール

ほまら

Author:ほまら

楓サーバで活動中、ねぶくろのギルマスになりました、ほまらです。
魔法使い・日の丸扇子・ムーンライトをこよなく愛し、未だサクチケを使わない、このレベルにしては希有なプレイヤーです。お守りはたまに使います♪
Projectムクヤジを頑張っていますが、ブログ更新は頑張りたくない微妙なお年頃。ちゃんと卒業できるかなぁ……(汗

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